筆者のプロファイルへようこそ!


更新日:2019/02/19


ペンネーム nimo です

現在、親ページのリンクを切っているのに

topページに隠しボタンを設置しました。

ご覧頂いている

お客様ありがとうございます。

久々に更新いたしました。

これからも、アップデートしていきますね。

メールでご声援いただいた方々に

お礼申し上げます。





人生よいことばかりじゃない!


1990年の東名高速事故の詳細

nimoが実際に体験した物語

実話小説『そんなアホな!』


を是非御覧ください。




一番最後まで読んでね○秘のことが

書いているかも!!!



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新在家で生まれる。

幼い頃から太鼓大好き少年でした

3、4才ころに一度だけ新在家ふとん太鼓の

柱もちで乗った記憶があります




写真は1987年鈴鹿8時間耐久レース
スタート20分前


1987年世界耐久選手権鈴鹿8時間耐久レース

帽子をかぶっているライダーの右側にいるのがnimo

ライダー 
国際A級 大島 正 / 国際A級 辰巳 保夫

鈴鹿8時間耐久レースでは

1週目シケインを6位で

アプローチしているときに

某H社ワークスマシンに

ブレーキングでオカマされ

転倒、すぐピットにマシンは全損状態

55分で修復してコースに戻る


順位は最下位66位、

25位まで追い上げるが

5時間走行後エンジンブローで

リタイアする


このマシンを太鼓会の人は

見たことがあるかもね!

臨海でよく試運転していました

クマモンもよく一緒に行きました!

(顔出しNGというから修正しました...)




WANTED!!!


危険に付き、取扱い注意!!!

エロに付き、取扱い注意!!!

趣味:エロ!

特技:エロ!

性格:エロ!

※何よりも、祭りが大好き!





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25歳からオートバイレースを職とします




チーフメカニックとしてマシーンを作る


この年はプライベートで全日本選手権を

全戦出場する

そして、TT-F1クラス年間ランキング

10位となる!!!



宮城県、菅生サーキットにて

ストレート(250キロ)から

ブレーキング

80キロまで200mで減速




VFR750F(1987年)

フレームとスイングアームはH☆Cで設計







『vfr750f』で検索している方にプレゼント!


機密情報があるため解像度を低くしています









初公開、RC30のリヤアクスル!


このアクルスは、鈴鹿8時間耐久で

実際に使ったものです。

もっと情報欲しい方は
nimoにメールください。

作り方も教えちゃうよ!

RC30で当時200本作りました。


世界中に出荷した実績のあるものです。

当時のお値段 ¥160,000-

きっと作ったらこの金額安いと思います。






この他RC30、RC45、RS250、NR750等あり!

全~んぶ、
図面放出します、加工方法もね!



但し、某H社、H☆Cの図面は除く


あくまで、nimoが設計した物のみです。


まだ、死にたくないので!
;;;







1987年度TT-F1クラス、ランキング10位



ライダー大島正は翌年某H社の

ワークスサテライトチームに

移籍して


2年連続鈴鹿8時間耐久レースで

2位
となる




大島 正 選手は

その後

茂木サーキットにてレーススタート直後、

転倒に巻き込まれ

後続車に引かれ死亡する 

享年35歳



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某俳優のレーシングチームから

ヘッドハンティングされる。


TEAM IWAKI



1988年菅生サーキットにて


1988年 TT-F1クラスで

元スズキワークスライダー

伊藤 巧 選手を走らせる

予選16位、

ちなみにワークスマシンは16台

某H研究所のマシンが後ろに

いました

某H研究所マシンを抑える

最終ラップ某H
Cの

ワークスマシンを

抜いて

6位に上がるが最終コーナーで

某H
Cワークスマシンに

ぶつけられ

鼻の差で7位になる


Rじゃないよ!

絶対に!




某H技研工業、

某H技術研究所から

エンジンのサポートを受ける



しかし、しかし

提供を受けたエンジンは

細工がされていて

すぐに壊れるようになっていた

どうも、技術力を試されたようだ

某H研究所R&Dは非常にセコ~い!
(R&Dて研究開発て意味です)

この件は改めてアップしますね、お楽しみに!




1989年鈴鹿8時間耐久レース

 
決勝10位入賞プライベートトップ!!!


ライダー 

国際A級 金海 相五 / 国際A級 伊藤 巧



11位に某H研究所のとっても速いマシンが・・・

1989鈴鹿8時間耐久レ-ス 予選リザルト



赤枠がnimoのチーム

緑枠が大島正である


予選34位、金曜日の夜間走行の際

シケイン立ち上がりで

第1ライダーがハイサイドで転倒

マシンはリヤホイールが曲がるほど大破

練習走行で2’21秒前半出ていて

予選では20秒台をたたくのではないかと

転倒の影響でセッティングが上手くいかなく

2’22.042秒であった

9月のレースではどちらのライダーも

2’19秒台に入っている




1989鈴鹿8時間耐久レ-ス 決勝レースリザルト

赤枠がnimoのチーム

緑枠が大島正である

決勝スタート30分前にミシュランから

8本だけコンパウンドの違う

2024というタイヤを供給される

テスト走行なしでの勝負だった!

2024はミディアムである

普段はソフトしか提供がなかった

このコンパウンドはワークス外人チームにしか

提供されていなかった

1回目のピットでピットアウトさせた後

スタートライダーが


『タイヤ当たりやわ!!!』

『みんなコーナーの侵入でズルズルへろへろ』

スタート1週目19位でコントロールライン通過

2週目14位にアップ

4時間経過後11位にアップ

10位になったのは6時間経過後


11位が26秒差まで追い上げていた

この年のレースは全権がnimoに任されていた

残り1時間を切った、最後のピットインが近づく

本来なら第1ライダーが交代する

しかし11位が一周当たり5秒以上の

速さで追い上げてくる

もう18:30を超えるといきなり暗くなる

nimoの判断でライダー交代は無し

給油、タイヤ交換のみとスタッフ全員に伝える

しかし、ゲストの中に
『第1ライダーに交代させて!』

という声がする!!!

nimoは絶対にダメという

第1ライダーは金曜日の夜間走行で転倒して

タイムもあまり出ていなかった

これが、最高という答えはなかった

サインボードにピットインのサインを出す

2分30秒後には最後のピットインだ!

ピットレーンの間は時速80キロに制限されている

これを上回るとピットストップの

ペナルティーがかかり

間違いなく11位に後退する

さぁ、マシンがピットレーンに姿を現す

スタッフ全員の緊張がnimoに伝わる

給油システムも戦闘機が使ったりしている

クイックチャージ式である

24リットルタンクに約23リットルのガソリンが

たった5秒近くで入る

給油の際は一切の作業は禁止である

ピットインしたらまず後部のスタンドを立てる

そして、給油、タイヤ交換である

ワークスは20秒もかからずにピットアウト

nimoのチームはどうしても30~40秒だ

ピットインしてすぐに、ライダーの肩をたたき

続走と合図する

『現在10位で11位が
ライダーで19秒台で追い上げ』

現在、40秒の差

と伝える

ライダーは首を縦に一回振った

了解したとの合図だ!

この時のライダーが後の

RC2〇1Vの開発ライダーになる

そして、11位を少しでも時間を稼ごうとして

ラップタイムが上がる!



10位でゴールインする




決勝レース中に
2’21.827秒をたたき出していた

だた、6時間経過後にフロントバンクの

ハイテンションコード(プラグへの接続ケーブル)

ラジエータからはみ出していて

フロントタイヤにブレーキングのたびに

当たりこのままではV4の1気筒が死ぬことに

ライダーは今のところ分からないという

交換したら10分程度ロスをしてしまう

勝負の時がきた!!!

ピットインの際に確認すると

ケーブルの半分が削れてしまっている

それでも、今で半分だ!

そのまま、誰にも言わず交換はしないと

nimoは決断した!


この年の耐久レースではスタート後1時間の間に

1/3が転倒した大荒れのレースだった



コカ・コーラがスポンサーについていて

全チームにコカ・コーラ1箱がもらえる

そして、マシンの左側にデカいシールを

貼って10位までに入るとチームに30万円が!

(左側に貼るのは、ストレート走っているときは

マシンの左側にテレビカメラがある)

(この時は、NHKが衛星中継されていた)

(おすもーさんの時は中断していたそうだ!)


ちょっと安い気もするが!!!

順位によって金額が変わる

10位で30万円だった記憶がある

しかし、nimoは貼らなかった!

最後のピットインの時に

一瞬にして、貼ったのだ!!!

そこは、nimoもセコいなと自覚する;+;

この時ピットが同じでNHKの撮影をしていた

河島英五さんは

『君のとこは10位やろ、ええな』と!



このレースでは世界中から120台の

エントリーがあり予選通過は66台である
 


1989年鈴鹿8時間耐久レース


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翌1990年某H社サポートにて

TT-F1、TT-F3クラスに参戦する

鈴鹿サーキットのTT-F3レースで

某Y社のワークスマシンと

トップ争いを繰り返す

後続の3、4位を10秒以上引き離すが

バトルでラップタイムが伸びず

4台が混戦となり

最終ラップでシケインを3位で

アプローチするが

ブレーキングでオバーランをして

4位でゴールする



筑波サーキットでは
3位となり

表彰台に上がる




RVF400R
ライダー 中井 直道






バブル全盛期でした3人とも当時18才



この娘も18才

不安そうなライダー・・・

宮城県、菅生サーキットにて



1992年鈴鹿8時間耐久レース




1992年鈴鹿8時間耐久レース

19位


1993年鈴鹿8時間耐久レース

スタート直後トラブルでピットイン

15分後最下位66位でピットアウト

ゴールは17位完走







230万円のキャブレーター!!!











1,000万円のエンジン!!!

お金出しても

サポートチームに

指定されていないと

買えません!



フロントサスペンション片側
 140万円

ブレンボキャリパー片側 50万円



カウリング、シートを外した状態

シート(ドライカーボン 980g)
30万円

カウリング(ドライカーボン 1,200g)
80万円



一回転倒すると最低

120万円くらいは飛びます



このマシンの最高速は 

285Km/h 
(鈴鹿サーキットストレートエンド)

スピードガンで計測177マイル
(177mph=284.853888 Km/h)


0→100km/h 3秒以下

1速 
120km/h

2速 
150km/h

3速 
200km/h

4速 
230km/h

5速 
260km/h

6速 
285km/h

(鈴鹿サーキットでのギャレシオ)



ガソリンは elf ガス
 

1リットル 
1,200円


燃費約 6キロ/リットル


スリックタイヤ前後1セット 約8万円


グリップするのは5週程度!


耐久レースでは約22周で

ピットイン前後交換


レース期間で

約30セット使います。



製作費 
3,500万円

(1台、スペア部品除く)


2台製作


耐久レース走らせる為に

かかる費用

鈴鹿サーキット1周で

約50,000~60,000円


1993年度で196周です。


年間予算 100,000,000円

2年間スポンサー
を取り行いました




イカれてるって思うでしょう!!!

脳みそがカニみそになってます

良い子はレースなんかしては駄目だよ!




1996年に取材を受ける

スマホでズームアップ可能です

小さな文字が読めます













1992年に法人設立、その後エンジン開発を行う




ミニオンズ!!!




1996年 RVF750R

この辺りも、詳細に記載しようと思います。お楽しみに!

某H社、社内チームにエンジンを供給する


社内チーム あまりにもパーワーがあり

サスペンションのセッティングがです

予選落ち!チャリ~ん


750cc、最高速297.5キロ、0→400m 9.7秒

谷田部自動車オーバルテストコース


このクラスのレコードを記録する

このへんも詳しく書きたいと思います。

その後、某H社がエンジン2基お買い上げ

某H社が外部よりエンジンを買うのは

史上初めてで最後

Cが提供していたエンジンは 

155ps



このエンジンは
170ps/15,000rpm以上





そして




Kawasaki ZXR750R









Kawasakiのサテライトチームから

チューニングの依頼を受ける


なんとこのエンジンが全日本選手権で

ワークスを抑えて優勝

してしまった!!!




YAMAHA 5バルブ

バルブシートとガイドブッシュを

BeCu(べりカッパー)に交換

マシニングセンターで同時加工







エンジンの組み立て

バルブタイミングを1度以下の精度でセッティング










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某H社レース部門、

研究開発部門である

、某H技術研究所の

仕事をするようになる

上のの中に好きな

アルファベット入れてね


Rじゃないよ!






インディアナポリス(アメリカ)でnimoが撮影












































左から、若松さん、nimo、中川さん
(国際A級のライダーです)

5年前に行方不明になっていた若松さんと
アメリカのインディアナポリスで偶然出会いました。
若松さんは、若いころ片山敬済のメカをしていて
世界GPを周ったつわもので私の先輩になります。

現在はロサンゼルスで会社を経営乄いるとのこと。

この後、食事に行きますがさすがアメリカ、

なんでも
でかい!


でかくてとっても甘いです。これ食後のデザート一人分です。



左側が喜田さん、右か国際A級の中川さん。
(サンフランシスコ pier39にて)

喜田さんはチーム伸介の
チーフメカをしていました。

三人で

サンフランシスコ⇒シカゴ⇒インディアナポリスに

nimoの療養を兼ねていきました。


nimoは1990年と2001年に死にかけました。

nimoは1990年に両足開放骨折、骨盤3か所骨折

骨折カ所8カ所

右肺がつぶれて肺炎に、

輸血量3日で32万cc

全身麻酔の手術を2週間おきに6回受けます


この件は改めて詳細を書きたいと思います。




2001年5月に左脳前頭葉から脳出血

3センチの脳内出血

近代付属病院で開頭、摘出手術を受け

後遺症が右半身の麻痺と失語障害

リハビリで良くはなりましたが・・・

この件は改めて詳細を書きたいと思います。





予想通りのめちゃくちゃな旅となります。


特にシカゴ空港は大雪で飛行機が遅延

空港のカウンターに行ったら

インディアナポリス行はもう飛んでしまったとか

シカゴ空港はでかい!

Aカウンター行けとか、Fカウンターに行けとか

しかし、中川さんと喜田さんは

nimoの面倒をよくみてくれました。

今でも感謝しています。




雪景色の夜のシカゴの街は絶景だった!!!


サンフランシスコ浮かぶ

THE LOCKの舞台となったアルカトラズです。

こうやって見ると泳げそうな気がしますが

絶対に無理だと思います。



この門から電車を船に乗せて囚人をアルカトラズに運んでいたそうです。



有名なカニの看板です。











とりあえず、なんでもボリームがありでかい!!!











これ、潜水艦の中です。1945年3月建造ときされていました。
そして、6月には豊後水道から瀬戸内海を通り大阪湾に入り
紀伊水道に出たと書かれていました。




この潜水艦、現役で動きます。エンジンをかけてくれました。





そして2012年10月

ロサンゼルスの先輩を訪ね渡米します。



2011年10月ロスの先輩を訪ねる。

どこ行くのにも、セスナだってかなり緊張しています。

ロサンゼルス国際空港の上を飛んじゃうんです。;;;;







モーニングするのもこれ乗って隣町(時速250キロで約30分)
セスナ横ずけしていきます。



ロサンゼルス国際空港を横断しているところです。
管制塔に許可とればOKです。



F1が公道で開催されるロングビーチです。

若松さんいわく

『あいつらこんな道でレースするのって』

『頭いかれてるよな!!!』


若松さんも十分にいかれていると思います...

怖かったよ・・・
わ~着陸の時・・・


なぜか、セスナを停めている空港にF22ステルスが・・・



F15トムキャト戦闘機が・・・

TOP GUNで撮影に使った機体と書いていました。






motoGP
マシンRC21V

開発段階から関わる

上のの中に好きな

アルファベット入れてね


じゃないよ!

最高速 360キロ以上



0→300キロまで 10秒かからない



ちなみに
F1は鈴鹿で最高速340キロ




もちろん新幹線より速い!





一台の製作費、
150,000,000万円(開発費除く)



エンジン1基のお値段
100,000,000円

耐久性 4時間しか持たない

(冷静に今考えるとイカれてます)

地上を走る戦闘機!250PS、車両重量145kg


motoGPとは

















2006年motoGPチャンピオン奪回

記念プレートの製作を依頼される

Hoda Racig

上のの中に好きなアルファベット入れてね
nじゃないよ





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motoGP開幕戦2002年春の

鈴鹿サーキット


ライダーは
V・R

 
開幕戦は春雨が一週間前から降り続き

決勝一週間前の合同練習の際も雨で

ライダーのV・Rはスプーンカーブから

裏のストレートでフロントカーボンブレーキが

冷えてしまい130Rにアプローチの際

ブレーキングでカックンとなり転倒の危険があると。

この時はフロントディスクカバーが

間に合わなくてつけていない状態だった。



 
手配は某コンポジットの会社にしていたのだが

決勝の3日前に

バンザイ(納期が無理だと音を上げたのだ)

してしまったのだ。


 
H〇CとしてはこのmotoGP開幕戦は

優勝したい、

しかし決勝当日は雨の予報であった


そこで白羽の矢
(いや黒い3本の矢かもしれない)

nimoの会社に発注があった。


発注があった部品は昨年使用していた

N〇R500Rのカーボン製ディスクプレートカバーを

RC2〇1Vに装着できるステーである。

FAXが来たのは木曜日17時過ぎである、

今回は鈴鹿サーキットに決勝当日HCピットに

9:00まで必着持参ということである。

 加工時間は2日である二次元の

CADの図面をFAXで送ってきたため、

今夜徹夜して三次元モデルを作成、

金曜日早朝から加工プログラムを作成、

夕方までかかりマシニングセンターの

準備と工具設定をする。

土曜日一杯でどうしても

仕上げたいところだ。



 
加工には冶具等も必要になる

マシニングセンター2台で振り分けて

金曜も徹夜になり土曜日に仕上がらず

日曜日にずれ込む。

仕上がったのは日曜日6時過ぎである。

すぐに2名を堺の泉北から

阪和道⇒西名阪⇒亀山⇒

鈴鹿サーキット⇒パドックの

1番ピットについたのは約束の10分前である。

 nimoは自宅で決勝をテレビで観戦していた。

決勝は雨が的中したV・Rが

ポールツーフィニィシュを果たし優勝したのだ。

 
そこには、以前1989年にnimoが作ったマシンで
鈴鹿8時間耐久レースで10位に入賞した
ライダーK氏の姿があった。


 K氏はRC2〇1Vの開発ライダーだったのである。

彼はのちにプロジェクトリーダーに昇格して

motoGPレースで世界中を回っていた。


 
縁とはおかしいものである。


気が乗ったら、nimoの人生を

書いてみようかなと思います。

K氏に

『nimoさんの人生は小説になる』と

言われたことがありました。






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菊水のマークはコンピューターで

三次元CADにて作成







特技:3次元加工データー作成

    エンジンのチューニング

    5軸マシニングセンター加工

プログラムを少々



性格:アホ(本当にアホである)

    スイッチが入ると

    
ああっ「もう~どうにもとまらない」




趣味:車、ギター







泣く子も黙るMARTIN D-45 世界で91本



シリアル91/91なのだ!



鑑定書





トヨタ MR-S ワイドボディー仕様

重量970kg 3ナンバーで車検を取る

ボディーはFRP製

170ps 最高速200キロ






BMW Z4 3.0i SMG仕様

直6 3.0リッター

最高速260キロ!

デザイン最高!

快適なスピードは220~240キロくらい

200キロ巡行ならマクドナルドが食べれます

食べのはミスタードーナツですが

以上、私のプロフィールご覧頂きありがとうございます



おっと、まだ下を見てね!

        



雨上がりの空を見てボブは思っていた

悪党はどこかにいないかなと






「 あっ、下から目線 」



あっ、クマモン

ミニオンズ!

WANTED!!!


これだったら誰かわからないのだ

本人は顔出し嫌がったのだ


これで良いのだ


レレレのれ、なのだ!


俺のこと嫌いやろ
!!!

俺は大好きだよ!!!




今年も良い年でありますように!!!